ギリシャから来た現代最高級の夜の女王 Christina Poulitsi

Christina Poulitsi(クリスティーナ プリーツィ)は1983年、ギリシャ生まれのソプラノ。
ギリシャとベルリンで声楽を学んでいるので、コロラトゥーラを得意とするソプラノならば、
魔笛の夜の女王は必然的に持ち役になってくるのだろうが、
この人は決して軽い声ではない。
ギリシャの歌手は型にハマらないような歌手ばかりなのだが、プリーツィも相当に規格外の楽器を持った人である。

 

 

 

 

モーツァルト 魔笛 Der holle rache kocht in meinen herzen

低音の音圧がまずそこらの夜女歌いとは全然違う。
普通こんな中音域をドラマティックに歌ったら超高音で何等かの悪影響が出るものだが、
このテンションのままハイFまで確実に決めている。
しかも驚くべきことに、本来は声帯を物凄く薄く使って軽く出すのがセオリーなのだが、

私が度々べた褒めしているドゥヴィエルの演奏と比較しても、
本来この役に求められるべき音色や表現は間違えなくプリーツィの方だと認めざるを得ない。

 

 

Sabine Devieilhe

ドゥヴィエルにしては珍しく破綻しそうな声も時々聞かれるが、
本来スピントに押しの一手で歌えば崩れてくる。
なので彼女の場合はコロがす場所は全く違う表現、と言うか多分押しては歌えないのだと思うが、
プリーツィはお構いなしと言った感じで、どんなパッセージもそのままのテンションで突っ込んで歌い切っている。
個人的には結構衝撃的な演奏である。
こういう楽器は一般論で発声の良し悪しを説いてはいけないタイプだ。
アグネス バルツァもそういうタイプだったが、やっぱギリシャ人はわからん・・・。

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 ah forse lui…sempre libera

こうなるとヴィオレッタのアリアをどう歌うのか気になる、
ということでこの曲だが、
先ず最初の印象は、イタリア語としては音色がちょっと暗いのが気になった。
だがsempre liberaに入ってからは凄いの一言。
何が凄いかって、まったく音をズリ上げることなく、スパスパ高音が決まる。
ドラマティコダジリタとして理想的。
私はこのアリアの最後にハイEsは必要ないと考えるタイプの人間なのだが、
ここまで完璧に、テンポも間延びせずに出せるなら言うことはない。
前半のカヴァティーナはまだまだ言葉の部分でも音色の部分でも発展の余地はあるが、
カバレッタに限れば間違えなく現代最高ではないだろうか?
少なくとも、第劇場でヴィオレッタを歌いまくっているディアーナ ダムラウの何倍も上手い。

 

 

 

Diana Damrau

最後の方は完全に喉が疲弊して、とてもハイEsなんて出す余裕がない状況。
途中でもなんとか踏みとどまった感じで、これではとてもじゃないが世界的なヴィオレッタ歌いを名乗ってはいけない。
と言うか、一流劇場がヴィオレッタでダムラウを起用してはいけない。
高音の響きの質を比べれば、プリーツィが全て理想的なポジションにはまっているのに対して、
ダムラウは重くなっていて音程そのものも低くなり気味、
この比較なら100人聴けば99人はプリーツィの方が上手いと分かると思うのだが、
現実は、チケットに何倍ものお金を払ってダムラウを聴きにいく人の方が多いのである。
コレが問題だ。

 

 

 


 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 伯爵とスザンナの二重唱Crudel !.. Perché finora
バリトン  Florian Sempey

なぜこの曲歌ってるんだ、バリトンとやるならリゴレットだろ?
などと思いながら聴いてみたらコレが上手い!
今までに何度か書いている通り、スザンナはテッシトゥーラが低いので、
本来軽い声のソプラノが歌うと、音域が低くて全然響きが乗らなずに言葉も聴こえなかったり、
あるいはオペレッタのような浅い声で歌う人が散見される訳だが、
プリーツィは中音域も実に美しく響かせることができる。
やはり超高音を得意にしていても、決してレッジェーロの声ではなく、リリックでもかなり強い声だ。
更に伯爵を歌ってるバリトンのFlorian Sempeyが常に喉を押してノンレガート唱法で歌う、
典型的な残念極まりないバリトンなので、
レガートで歌うことの重要さがこの重唱を聴くだけでよくわかる(笑)

 

 

 

 

ドニゼッティ ランメルモールのルチア (ハイライト)

今年の演奏は今までに紹介してきた演奏以上の完成度。
技術的には非の打ち所がないと言っても良いのではないだろうか?
全部どの音も軟口蓋のところにくっついているかのように落ちない。
ただ贅沢を言えば、イタリア語の響きとしてはもっと開いて欲しいというのはあって、
恐らくこれでも少し下顎か舌に緩められる部分があり、
そこの脱力が完全にできれば開いた明るい音色が出せるようになる可能性はあるが、
これはあくまで私の聴いた印象であって、実際のところは骨格的な部分もあるので確信ではない。

 

 

先日記事にしたJulie Fuchs がDGから既にCDを出しているのに比べて、
プリーツィはソロアルバムのみならず、オペラや宗教曲などを含めても音源や映像を一切出していない。
これ程の実力がありながらどこのレーベルも目をつけてないのだとしたら非常に勿体ない。
自分で以下のような記事のタイトルをつけておいてナンだが、個人的にはプリーツィの方がフックスより売れるべきだと思ってますよ。
今はヨーロッパを中心に米国でも歌っているようだが、是非日本にも来て欲しいものである。
大野和士には期待できないので、武蔵野辺りが呼んでくれないかしら・・・。

 

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