輝かしいティンブロを持つ期待のバリトンStefano Meo

Stefano Meo(ステファノ メーオ)は1977年イタリア生まれのバリトン歌手。

ローマのサンタチェチリア音楽院ではソプラノ歌手のAnna Maria Ferranteという人に師事していたそうなのですが、このソプラノ歌手、知名度は全然ないのですが、とてつもなく素晴らしいソプラノ歌手なのです。

 

 

Anna Maria Ferrante

もう歌っている姿勢が美しいです。
「飲むように歌う。」
というように表現される、ものを飲み込んだ時に喉が下がった状態と同じポジションを使って、そこで歌い続ける技術があるのですが、この人は完全にそれをマスターしてます。マジで凄いです。

イタリアでも大して上手くない歌手が檜舞台に立っている現状を考えると、これ程の歌手が大して有名になっていないのは驚くべきことです。
なんたって、この方の歌ってる動画はコレしかないし、Wikiも存在しないのですから・・・。

逆に言えば、知名度が如何に実力とは比例しないかと言うことの証拠ともとれるのではないかと思います。

余談ですが、ローマ サンタチェチリア音楽院と言えば、日本人講師で初めてここで教壇を取っている葉玉洋子さんという方がいらっしゃいます。

興味のある方はコチラを参照ください。

 

 

 

 

話をメーオに戻しますが、
タイトルからも想像できる方もいるかと思いますが、
メーオは現在ヨーロッパを中心に活躍するヴェルディバリトンで、
最近の歌手にはあまり聴かれない、素晴らしいティンブロ(輝かしいピンとした響き)を持っています。

米国人、ロシア人、韓国人によく聴かれるような、パワーで無理やりティンブロを作るのではなく、息の流れで自然なティンブロを作ることができていることがメーオの特筆すべき点ではないかと思います。

 

 

 

ヴェルディ トロヴァトーレ Il Balen del suo sorriso

声だけなら世界でもトップクラスの良さではないかと思います。
しかし、声が良い=素晴らしい歌。ではないことも彼の歌から感じてしまう人は多いのではないでしょうか?

YOUTUBE上で彼の歌唱に対するコメントを見ても、イタリア人が挙って

「イントネーションに問題がある。」

「音色が貧しい」

「声は大変美しい」

というようなことを書き込んでいるのを見ると、声が素晴らしければ素晴らしいほどに、勿体なく思えてしまう部分が耳についてしまうのかもしれません。

 

 

 

ヴェルディ トロヴァトーレ 二重唱 Udiste Come albeggi
ソプラノ Amarilli Nizza

ニッツァとメーオの声を聴き比べれば、発声技術のレベルの差は一目(聴)瞭然です。
ニッツァは全く響きで歌えていない、典型的な喉を押しているタイプです。
だから低音になると声が全然飛ばず、伸ばす音は不要なヴィブラートが掛かり、言葉も曖昧、と言うよりレガートで歌えないのでフレーズとして言葉を繋げることができません。
ようは、個々の音を点として歌っていて、一つのフレーズを線として歌うことができないので、必然的に歌詞が聞き取れないということが起こっています。

一方メーオは、ただフォルテで歌ってるだけでもレガートでは歌えていて、響きがどんな音程を歌っても落ちないので響きの質が均等で真っすぐに声が飛んでいます。
だから各音が点にならず、フレーズとして緊張感を維持できている。
と言えると思います。

 

 

 

 

 

ヴェルディ オテッロ 二重唱 Era la notte / Si pel ciel
テノール Roberto Alagna

メーオのイヤーゴ、ピアノの表現では確かに声はピアノになっているのですが、ただ小さく歌っているだけで全く厭らしさがない。
メーオの課題は子音の処理に対する意識の低さ、あるいは声に対する執着と言って良いのではないかと思います。
アラーニャは確かにオテッロの声ではないし。決して良いとは言えませんが、発音に対する感覚は素晴らしいと思うのです。

メーオがアラーニャくらい子音も含めてティンブロに乗せることができれば、本当に素晴らしいバリトンになると思います。
77年生まれということは、まだ42歳位ですから、今後はイタリア物以外も歌っていくなどすれば、改善の余地は十分あるでしょう。

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 Di Provenza il mar il suol

こちらは10年以上前の演奏。
この時は、高音はすでに抜けていますが中低音がパワーで押し気味で、レガートで歌うことができていません。
面白いことに、強弱の付け方はこの時の方が現在より繊細に行っているようにさへ聴こえるのですが、音楽の停滞感がむしろ感じられて、結局は高音の良い声だけに耳がいってしまうという現象が起こっているように感じます。
ディナーミクは重要なのですが、強弱をはっきり出したからと言って良くなるわけではなく、響きの質を変えずにピアノ~フォルテまで表現できなければ、あまり効果がないということがわかります。

 

 

 

ヴェルディ リゴレット  Cortigiani vil razza dannata

メーオが一番歌っていると思われる役だけあって、リゴレットは説得力があります。
ほぼ全部フォルテで歌っているのに魅力的な演奏なんですよね~。
こういう部分をつきつめていくと、デル・モナコの歌唱に魅力があるのは、黄金のトランペットの声があったからだけではなく、その言葉の表現、ドラマの作り方が優れていたからです。
こういう部分を無視して、凄い声だけを求めた結果、大声で叫ぶだけの歌手が大量生産されてしまった。
メーオの歌唱から、改めて声と表演について考えてみるのは意味のあることではないかと思います。

そして、彼がこれからを代表するヴェルディバリトンへ育ってくれることを願って已みません。

 

 

 

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