Daniel Kirchは間違ったヘルデンテノールだ!

Daniel Kirch(ダニエル キルヒ)は1972年ドイツ生まれのテノール歌手。

この人、ヘルデンテノールとして結構色々なワーグナー作品の主役を歌いながら、リートも歌う歌手なのですが、
仮にドイツ式の発声、なるベルカントとは対をなす発声があるとすれば、きっと彼のような歌い方を言うのだと思います。

これまでは基本的に特定歌手のディスり記事は書いてきませんでしたが、この人がヘルデンテノールとして活躍している現状はかなりマズイという警鐘も兼ねて、今回はこの人の歌唱がどうヤヴァいのかを書いていこうと思います。

 

 

 

シューベルト 冬の旅 Wegweiser

私の記事は、なにかとドイツ礼賛、イタリアに厳しい傾向があるように見られている方がいるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

いくつかのドイツの劇場の専属歌手を延々と聴きながら、確かに全員と言って良いほど硬い声、押した発声の人ばっかりというところがありました。

そして、そんな中でもヘルデンテノールとしてキャリアを積んでいるのが彼なのです。

しかし、この冬の旅の1曲を聴いても分かると思いますが、
本当にドイツ人か?
と思うくらい言葉の扱いが雑です。

全部開口母音で歌った挙句、全くレガートで歌えず、1拍子ですか?っとツッコミたくなるような詩のリズムも一切ない有様。
トドメに語尾にアクセントみたいなのが付くという、残念なドイツリート歌唱のお手本みたいなことをやっているのです。

このような歌手がそれなりに評価されて、今年はライプツィヒでトリスタンを歌うまでになっているのです。

こういう状況を見ると、ドイツだって全然素晴らしい歌手ばかりではない。
むしろかなり大声大会歌手がもてはやされることがあるということも事実でしょう。

 

 

 

モーツァルト 後宮からの誘拐 Hier soll ich Dich nun sehen

若いうちはモーツァルトを歌っていて、歳を重ねるに連れてワーグナーをレパートリーの中心に据える歌手は少なくありませんが、そのような歌手は大抵、若い時はそれなりに軽い声だったりするものです。
しかしキルヒは驚くべきことにパワーでモーツァルトを歌っているのです。
因みに、上手いモーツァルトテノールが歌うとこうなります。

 

 

Rainer Trost

ライナー トロストもドイツ人の歌手です。
しかし、キルヒとは真逆でなんと自然な発声で歌うことでしょう。

私が色々声楽関係の記事を見ていて気になるのは、
ドイツ物が好きな人、ドイツ物を専門に勉強している人は単純にイタリアオペラにあまり興味がない。という人が多いのですが、
イタリアオペラを勉強している人は、それが正しい歌唱であり、
なぜかロクに知りもしないドイツ物の歌唱を下に見る傾向があることです。
そんな訳で、イタリア=正しい発声。
という構図が成り立たないことをしつこく書いているのでした、

それにしても、キルヒはこの歌い方を続けて喉が持つってとんでもない才能だと思います。
私の耳には、まだステロイドに依存した声には聴こえないので、
私だったらこの歌い方でアリア一曲も満足に歌い切れる自信がありません。

 

 

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ワーグナー タンホイザー Inbrunst im Herzen (ローマ語り)

こちらが今年のタンホイザーの演奏。
ここまでスピントという言葉が似合うテノールはそういません。
押す、押す、押す、ただ押すのみ!

ストレートだけでねじ伏せるピッチャーには少年漫画的な夢があるかもしれませんが、押しの一手でヘルデンテノールの大役を歌うことにロマンはありません。

 

 

 

ワーグナー トリスタンとイゾルデ 愛の二重唱

ロマンがないと言うのは、
愛の二重唱がこうなるということです。
結局のところ、聴き手の想像力を刺激できないような歌を歌っちゃダメでしょ。ということです。

色んな表情や色合いを巧みに駆使して聴衆に非現実的世界を体験させることが歌唱芸術の役割ならば、絶対キルヒのような歌唱にはNoを突き付けないといけない。
少なくとも私はそう考えています。

 


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