N響 ベートーヴェン生誕250周年記念オペラ『フィデリオ』<演奏会形式> (評論)

2019/9/1 パーヴォ・ヤルヴィ&N響

ベートーヴェン生誕250周年記念オペラ『フィデリオ』<演奏会形式> (評論)

<キャスト>

指揮

パーヴォ・ヤルヴィ(N響首席指揮者)

出演

【レオノーレ(男装:フィデリオ)】アドリアンヌ・ピエチョンカ
【フロレスタン】ミヒャエル・シャーデ
【ロッコ】フランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ
【ドン・ピツァロ】ヴォルフガング・コッホ
【マルツェリーネ】モイツァ・エルトマン
【ジャキーノ】鈴木准
【ドン・フェルナンド】大西宇宙

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】NHK交響楽団

 

今日はこちらの演奏会に行ってきましたので、
歌手陣の評論を書きたいと思うのですが、
その前に、私は指揮者のパーヴォがあまり好きではありません。
少なくともオペラを振れる指揮者だとは思っていない、というのがあるので、その辺りのドラマの作り方にはあまり期待していないということは書いておきたいと思います。

 

 

<評論>

 

◆ドン・フェルナンド役
大西宇宙

この人がドイツ物を歌っているイメージがなかったので、
なぜフィデリオに出てきたのか不思議でした。
しかし、意外と言っては失礼かもしれませんが、
ヴェルディのアリアみたいなイタリア物を歌ってる時よりよっぽど自然な響きで、声だけ聴いたら日本人が歌ってるとは思えないくらいに、そこらのバリトンとはやっぱり違うものがありました。
低音ではやや詰まってしまう感じで、中音域のようなノビはありませんでしたが、それでも喉で押さず、高いポジションの響きで歌えていたのは好印象でした。
それでも欧米人と比べると、どうしても低声歌手は楽器的に不利な部分が大きいので、個人的にはセビリャのフィガロみたいな派手な役、あるいはアリアを好んで歌うより、今回のような演奏に可能性が見えたのですが、今後どのようなスタイルで歌っていくのか注目したいと思います。

 

 

◆ジャキーノ
鈴木准

この方については毎度同じ意見になってしまうのですが、
結局平べったい鼻声なので、何歌っても同じような表現なのです。
まぁ、今回は役的にチャラめのお坊ちゃんという風な目線でみれば合っているのかもしれませんが・・・。

 

 

◆マルツェリーネ
Mojca Erdmann(モイツァ・エルトマン )

エルトマンは色々な意味で勿体ない歌手だと思います。
声は透明感があって軽やかなので、今回のような若い娘役にピッタリで、発音も丁寧ではあるのですが、残念なことに、声の硬さと無駄なヴィブラートがそれらの利点を相殺してしまっているのです。

 

マーラー 交響曲4番(一部)

この人の発音は本当に不思議で、全く唇を使わずに発音してるんですよね。

響きもどこが鳴ってるんだろう?
と思うような鳴り方をしているのですが、
とりあえず音程によって鳴ってる部分は違うと思いますし、かなり喉声に近い状態であることは確かです。

今日の演奏はこの映像よりさらにヴィブラートが強かった。
と言うとちょっと表現が適切ではないかもしれませんが、この映像の演奏より、高音が特に鼻の裏あたりの響きが強くなっていました。

そのため、重唱になるとあまり美しく聴こえない。
エルトマンはグラモフォンからもCDを出すようなアーティストですが、
私にはそこまでの歌手とは思えませんでした。

 

CD

 

 

 

◆ドン・ピツァロ
Wolfgang Koch(ヴォルフガング・コッホ )

この人はヴォータンとか、Rシュトラウスのアラベッラのマンドリーカなんかを聴いた記憶があるのですが、一番驚いたのは喋ってる声が優しそうなこと(笑)

ロッコ役のフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒがバスらしい超良い喋り声なのに対して、コッホは柔らかくて暖かみのある、おおよそ悪党とは思えない喋り声で、会話だけ聴いてるとどっちが悪役かわからない声だったのが個人的には面白かった。

歌声に関しては、確かに強い声の持ち主で、劇的な表現ができる歌手ではあるのですが、どこか作った感じの声だとずっと思っていました。
確かに強い高音を張ることはできるけど、ハマっている響きではないし、セリフを喋ってる時と比較して、歌っている時は発音がやや不明瞭な気がします。

 

モーツァルト 魔笛 Ein Mädchen oder Weibchen

https://www.youtube.com/watch?v=_awYN6rIFCg

※上手くリンクが貼れなかったので上記URLよりご覧ください

私はコッホの声については、悪役やヘルデンバリトンの役より、もっとリリックな役の方が合っているのではないかと思います。
少なくとも、今日の演奏よりこちらの映像の方が全然言葉の扱いが丁寧で聴きやすい。

やっぱり喋り声と歌声は切り離せるものではない。というのが私の考えですが、それについては、特にハイソプラノでは意見がわかれる部分でもあるのかなと思います。
日常的に喋ってる声と、明らかに非日常的な高音を出し続けることは別物。
という意見もうなずけます。

 

 

◆ロッコ
Franz-Josef Selig(フランツ=ヨーゼフ ゼーリヒ)

本日の公演で一番完成度が高かったのがゼーリヒ。
セリフの喋り声が、コッホより絶対偉いだろ!と突っ込みたくなるような威厳のある響きでありながら、
歌うと、ブッファバスの要素も持ちながら、葛藤に苛まれもする絶妙な表情を見事に作って聴かせてくれました。
深く朗々とした響きでありながら、ビンビン声を鳴らすようなことはあまりせず、ピエチョンカ・ゼーリヒ・シャーデの3人で歌う、
2幕のフロレンスタンのアリアの後の部分は特に味わい深かった。

 

シューベルト Auf der Donau

 

 

CD

 

 

◆フロレスタン
Michael Schade (ミヒャエル・シャーデ)

一番賛否が分かれるのはこのキャストだと思っています。
私はシャーデがリート歌手であるというイメージを持っているので、
そもそもヘルデンテノール的なものは一切期待していません。

しかし、世間一般としてヘルデンテノールや、
それに準じる強い声のテノールが歌うイメージを持っている方で、
シャーデをあまり知らない場合は批判的に聴こえた可能性があります。

なんといってもこの役は2幕の登場の第一声
「gott 」のGの音をどう出すかで後の期待感が決まると言っても過言ではありません。

そして、私の知る限りこの部分は必ずフォルテで歌われるのですが、
今回、シャーデはファルセットに近い声から入ってフォルティッシモまでかなりの時間を掛けて引っ張りました。
その後も喋るような、まるでリートを歌うようにこのアリアを歌ったのでした。

無理やり太い声を作って歌ったりしないかな~みたいな心配があったのですが、シャーデらしい演奏で、時々鼻に入る時があるのは気になりましたし、開放的な高音が出るタイプではないことも知っていて、やっぱりその通りだったのですが、綿密な表現と丁寧な言葉の扱い方にはやっぱり感銘を受けました。

確かに声量があるタイプではないんですが、、
全く無駄なヴィブラートがなく、真っすぐ言葉が飛ぶというのは、
重唱では特に周りを邪魔することなく、寧ろ生かせる演奏になっており、
アンサンブルに安定感を与える上では重要な役割を担っていたと思います。

 

 

ヴェルディ レクイエム Ingemisco

こういう演奏を許容できる方は今日のフロレンスタンは良かった。と思うでしょうし、
こんなのヴェルレクの演奏じゃない!ヴェルディを歌う声じゃない!
と感じる方には不満の残った演奏だったと思います。

 

 

CD

 

 

◆レオノーレ(男装:フィデリオ)
Adrianne Pieczonka(アドリアンヌ・ピエチョンカ )

前半は男装を意識して声を作っていたのではないかと思えましたが、
それがあまり彼女の声には良くなかったのか、響きが落ち気味で、時々高音は横に広がり過ぎたような揺れた浅い響きが聴こえたりと、ただ音色を暗くしたという以上の弊害があったように聴こえました。
ピアノの表現では声がスーっと真っすぐ飛ぶのに、強い声では逆に落ちてしまう。

 

ベートーヴェン フィデリオ Euch werde Lohn in besseren Welten

1幕はこんな感じの声だったのですが、
2幕から化けました。

 

 

 

ワーグナー ローエングリン Einsam In Truben Tagen

これは妄想と呼べるレベルの話ですが、
私はシャーデの2幕のアリアを聴いて修正できたのではないかと思いました。

こんな軽く歌ってよかったんだ~。みたいな、
2幕で明らかに無駄な力が抜けた響きになって、フロレンスタンとの重傷みたいな激しめの部分では時々力みも聴かれましたが、それでも浅い響きになることは2幕では全くなかったと思います。
物語の中では妻が夫を助けますが、舞台では、フロレンスタンの歌唱がレオノーレを救ったのではないかな~。

 

 

CD

 

 

 

<全体を通して>

全体を通しては、レベルの高い歌手が集まった演奏会でした。
ゼーリヒを中心に低声男声陣が引っ張る構図なら、もう少し綿密なアンサンブルができてもよかったんじゃないかと思わなくもありませんが、
序曲の出だしから音がズレたりしてるN響&パーヴォじゃ、彼等の歌を最大限に生かす演奏は期待できません。

せめて歌を理解してる指揮者が振ればもっと良い演奏になったでしょうね!
というのは冒頭に書いた通り計算済だったんですが、それでも悔やまれますね。
飯守泰次郎だったらな~とか・・・。

それでも、シャーデの声がヘルデンの物まねみたいな残念な声になってなくて、
ゼーリヒとピエチョンカも健在で、
意外に大西宇宙がドイツ物を端正に歌えることがわかったのは収穫でした。
今度リサイタルをやる時は行ってみようかな。

 

もしこの公演に行かれた方は感想などをお寄せ頂ければ幸いです。

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