今後の活躍が最も期待されるソプラノの1人 Olena Tokar


Olena Tokar(オレナ トカール)はウクライナのソプラノ歌手。

ウクライナとドイツで声楽を学び、主にライプツィヒで、Ileana Cotrubas, Christa Ludwig, Michael Schade, Alfred Brendelといった歌手から指導を受けたようです。
2011年にザルツブルク音楽祭に参加し、2013~2015 BBC Radio 3 New Generation Artists schemeにも選ばれています。

そんなトカールですが、彼女のスケジュールを見る限り、まだ大きな劇場では歌っていないようで、ライプツィヒの劇場を中心に、ケルンの劇場や、コンサート歌手としてその他の地域で歌っている感じです。
ですが、トカールの歌唱は非常に完成度が高く、若手にも関わらずイタリア語で言う「Sul fiato」息の上で歌う。ということが特に高音では完璧と言って良いレベルで出来ています。

この人の歌唱は間違えなく、今の学生や若手ソプラノ歌手にとって良い教科書になると思います。

 

 

 

 

ヘンデル ジュリオ チェーザレ Piangerò la sorte mia

発音的には、もう少し二重子音のスピード感が欲しい。
とか”r”の巻き舌の具合で言葉の重さを調節できたらなぁ。
と言うのはありますが、それは完成度の高い柔らかいレガートでの歌唱ができていればこそ、プラスαの表現を期待してしまうが故のこと。
旋律線の描き方は申し分なく、ゆっくりのテンポでも間延びした感じが一切ない。
良い意味で拍節感を感じさせない前半部分と、乾いた硬めの音色でテンポを乱すことなく歌う展開部のコントラストは、A-B-Aという単純な形式のアリアを上手く聴かせる上で重要なことですが、歌い方を変えずに実践するのは中々できることではありません。
トカールは常に前に響きが集まっていながらも柔軟性を失うことがありません。
こんな美しい響きで歌えるソプラノはそういません。

 

 

 

 

 

メトネル Nähe des Geliebten

ニコライ メトネルはあまり声楽畑の人には馴染がない作曲家かもしれません。
私もピアノ作品は知っていましたが、歌曲を書いているとは知りませんでした。
メトネルのWikiを見てみると、確かに結構歌曲は書いてることに驚きつつも、どうせピアノ伴奏難しいんだろうな~なんて思ってしまったり・・・。

トカールはドイツ語で歌っていますが、ゲーテの詩による歌曲ということで、
オリジナルがドイツ語なのかもしれません。
折角なので、歌詞も見てみましょう。

 

 

<歌詞>

Ich denke dein, wenn mir der Sonne Schimmer
Vom Meere strahlt;
Ich denke dein, wenn sich des Mondes Flimmer
In Quellen malt.

Ich sehe dich, wenn auf dem fernen Wege
Der Staub sich hebt;
In tiefer Nacht, wenn auf dem schmalen Stege
Der Wandrer bebt.

Ich höre dich, wenn dort mit dumpfem Rauschen
Die Welle steigt.
Im stillen Hain da geh ich oft zu lauschen,
Wenn alles schweigt.

Ich bin bei dir, du seist auch noch so ferne.
Du bist mir nah!
Die Sonne sinkt, bald leuchten mir die Sterne.
O wärst du da!

 

 

<日本語訳>

私はあなたを想います。太陽の光が私に
海から照り返すとき
私はあなたを想います。月のきらめきが
泉の中を彩るとき

私はあなたを見ます。はるか遠くの道の上で
塵が舞い上がるとき
深い夜に 狭い小径の上で
さすらい人が震えているとき

私はあなたを聞くのです。あそこで鈍くざわめく
波が打ち寄せるとき
静かな林の中 私はしばしば耳を澄ましに行く
すべてが沈黙に包まれているとき

わたしはあなたのそばにいます。あなたは実際とても遠くにいたとしても
あなたは私のそばにいる!
太陽が沈み 間もなく星たちが私に輝きかける
おお あなたがここにいるのなら!

 

 

トカールの歌唱は、やはりイタリア語よりドイツ語の方が得意なのでしょう。
中低音がなんとも色気があって良いではないですか。

特に「Du bist mir nah!(あなたは私の近くにいる!)」を二回繰り返す時の、
二回目の表現が、歌詞を見ないで聴いても大体どういうことを言ってるのか伝わるような表現で、本当に大切に言葉を扱っているのが伝わってきました。
インタビューの中でトカールは、自分の感じていることを聴衆に伝えることを大切にしている。と語っていたので、まさにそれが実践できている演奏だと思います。
余談ですが、同じ詩にシューベルトも作曲しています。

自分の声に浸る歌手はダメですが、自分の感情を客席に届けられない歌手もダメですから、安易な言い方ですが、演奏家が演奏する曲を愛していないと聴衆にも伝わらないということでしょう。

 

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 Estrano…Ah forse lui…Sempre

ヴィオレッタ役はドイツ語で綺麗に歌える軽いソプラノにとってもっとも危険な役だと思っています。
トカールの声も、ドイツ語では決して硬くなったり、不自然なヴィブラートが掛かることはなかったのですが、この曲では声がかなり不自然になってしまっています。
トカールは顔前面の響きを主に使って、上澄みの美しい響きで歌うようなタイプなので、
ヴィオレッタのような、喉の空間を広く使って深い響きを構築していかなければいけない役とは最悪の相性です。
この演奏を聴いてもわかる通り、抜いたようなピアノでしか高音が出ず、劇的な表現をしようとすると逆に声が疲弊し、最後の最後で全く声が出ていない。
後10年は歌わないでいてもらいたいのですが、彼女の周りには優秀なトレーナーがいないのでしょうか?と心配になってしまいます。

 

 

 

 

コルンゴルト 死の都 Marietta’s Lied

上のヴィオレッタとは別人の歌唱です。
トカールの発声がドイツ式の発声だ!という訳ではなく、単純に彼女の声にヴィオレッタが合っていないということは明らかです。

そこにきて、母音の分厚さが必要なイタリア語では、彼女の持っている細く繊細な響きという長所が生かせず、殆ど良いポジションから外れてしまう現象が起こっていました。
一方コルンゴルトでは、繊細なレガートで旋律線を描き出すトカールの歌唱との相性がバッチリです。
この2曲を比較しても、歌手にとってレパートリー選びがいかに重要かがわかると思います。

 

このように、ドイツ物の歌唱だけ聴いていれば超一流といって良いレベルに達していると思うのですが、イタリア物では克服すべき課題が山積です。
こうなってくると、今後大きな成功を掴めるかどうかは、課題を克服するか、イタリア物から手を引くかの二択な気がするのですが、果たして彼女はどのような選択をするのでしょうか。

技術的にも声的にも、大変素晴らしいものを持っているので、兎に角レパートリー選びだけは慎重にしてもらいたいと願うばかりですが、聴く側の私達は、特に歌を勉強している立場から聞けば、上手くいってる時と、そうでない時の出来がここまで差が出てしまう原因を分析することで、自分の歌にも生かせるのではないかと思います。

因みにフランス物も歌っている映像がありますが、劇的な高音が必要とされる場面で力みが目立ちますので、フォルテを如何にピアノと同じ響きの質のまま出せるようにできるかが、トカールの一番の課題かもしれませんね。

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