本日はエクサンプロヴァンス音楽祭2019から
7月9日に行われたトスカの公演がアップされたので、そちらの演奏について主要3役の評論を書いていきたいと思います。
【キャスト】
Floria Tosca – Angel Blue
La Prima Donna – Catherine Malfitano
Mario Cavaradossi – Joseph Calleja
Il barone Scarpia – Alexey Markov
Cesare Angelotti – Simon Shibambu
Il sagrestano – Leonardo Galeazzi
Sciarrone – Jean Gabriel Saint Martin
Spoletta – Michael Smallwood
Un Carceriere – Virgile Ancely
Chorus of Opéra de Lyon
Orchestra of Opéra de Lyon
Conductor: Daniele Rustioni
Stage Director: Christophe Honoré
New production of the Festival d’Aix-en-ProvenceA coproduction with Opéra National de Lyon
【評論】
◆スカルピア役
Alexey Markov(バリトン)
マリンスキー劇場とゼンパーオーパーを中心に
一流劇場で伊・仏・露作品のドラマティックなバリトン役で活躍している歌手で、声質自体はバスと言っても通用しそうな太さがあるので、この役を歌うには申し分ない。
響きは真っすぐで、有名なテ・デウムでも大合唱、オーケストラとしっかり張り合える安定した強い響きを、どのような音域、母音でも維持できる能力もある。
しっかりした発声技術で歌えていると思います。
ただし、良い声で一本調子に歌う感は否めず、
声だけ聴いていると高潔な役のように聴こえてきます。
まるでいやらしさが無いというのは、スカルピアやイヤーゴを歌う分にはつまらないと思えてしまい、この辺りは言葉の言い回しを研究しないと、声だけで表現するには限界があります。
とは言え、この公演では一番個人的に良いと思えた歌手でした。
◆カヴァラドッシ役
Joseph Calleja(テノール)
今ではすっかり死語となってしまったポスト三大テノールとして、若い頃から注目を集めていたカレヤも40歳を過ぎ、歌う役柄もリリコ レッジェーロのものから随分思い役に移行したのですが、実は私はこの人上手いと思ったことがありません。
今回の演奏でもそうですが、まず基本t機に鼻声っぽい。
全く正しいポジションで歌えていません。
有名なアリアの演奏を聴いてもわかりますが、レガートで歌えないので、母音の緊張感を十分に維持して歌うことができないので、淡泊でぶつ切りな音楽になり、イタリアオペラに必要な粘り気と言えば良いのでしょうか?言葉の緊張感が全く維持できず、その上ファルセットに抜いた表現をするので、とんかつだと思って食べたら白身魚のフライだったみたいな感じの残念さがあります。
この人、ミックスボイスを使いこなすことができず、完全に実声とファルセットが分離してしまっているのも問題です。
そのことは有名なアリア「星は光りぬ」でもよくわかります。
「le belle forme disciogliea dai veli!」(1:46:37~)という歌詞の、「cioglie」の部分で完全にファルセットになっています。
はっきり言ってこんなの技術のない歌手がやることで、しかも直前にブレスを取ってこのザマでは全く話になりません。
つまり、声が役に合っているとか合ってない以前に、
イタリアオペラを歌う歌唱ではないのです。
ドラマティックな声のテノールでも、ベルティなんかはカレヤよりずっと素晴らしい高音のピアノを聴かせることができます。
Marco Berti (0:55~)
カレヤのピアニッシモはただのファルセット、
ベルティのが正しポジションにハマったピアニッシモです。
残念なことに、日本の音楽評論では、少なくともカレヤはもてはやされているように見えます。
つまり、発声技術のないテノールを聴き分ける耳がない人間が平然とオペラ評論をやっているのが現状ということですね。
こんなの聴き比べれば、あまり声楽に詳しい方じゃなくてもファルセットに逃げてることはわかると思うのですが、いかがでしょうか?
そんな訳で、私もこのフレーズをミックスボイスを使って実声~ピアノ(ミックスボイス)へ抜いて改めてクレッシェンドしてみました。
お耳汚しですが完全なファルセットとは違うのが伝わればと思います。
因みに、こんな表現は通常はそんなに使わないと思います。
あくまで個人的な好みもありますが、全て実声で処理できるのが一番好ましいですからね。
◆トスカ役
Angel Blue(ソプラノ)
現在の米国人ドラマティックソプラノの中では、間違えなくかなり実力のある歌手でしょう。
安定した響きと声量を、理性的にコントロールできる技術と知性のある歌手で、スカルピアを刺し殺す場面の低音なんかも、
ただドスの効いた声で唸るのではなく、メゾソプラノ顔負けの立派な胸声もしっかり技術的に鳴らすことができています。
ですが勿論課題もあります。
まず声が太過ぎること。
トスカではちょっと分り難いので他の曲を参考にしてみましょう。
プッチーニ ラ・ボエーム Donde lieta uscì
ミミのようにトスカより軽い役柄になると、音楽の停滞感が伝わるのではないかと思います。
最高音なんかも微妙に低く聴こえてしまうんですが、
ドラマティックに声を聴かせるには効果的でも、喋るには息が太過ぎて、言葉がレガートで繋がらないのが課題でしょう。
トスカの有名なアリアで言えば、
「Diedi gioielli della Madonna al manto,
e diedi il canto agli astri, al ciel,
che ne ridean più belli.
Nell’ora del dolore」
のような部分ですね。
アリアだけの映像(2:15~)
もっと細い息を前でさばくことがブルーには必要だと思います。
これだけ深さもあり、響きの高さもあるので、
例えるなら、大砲で広く的を射抜くのではなく、
もっと口径の小さい銃でピンホールショットを狙って欲しいと思います。
カーステンの演奏なんかは本当にブルーが目指すべき方向ではないでしょうか?
Dorothy Kirsten
ブルーは発音が奥過ぎるので、同じ音で喋るようなプッチーニによくあるフレーズが上手く処理できませんが、
それでも響きのポジションは安定して高さを保てていることからも、カーステンのように、どうやって軽く明確な発音と、無駄なヴィブラートを取り除けるかが今後の飛躍を左右するのではないかと思います。
なお、ブルーについては過去記事でも取り上げましたので、
まだご覧になっていない方はどうぞ。
◆関連記事
Angel Blue は米国オペラ界に降り立った天よりの使者となれるか!?
【総評】
全体的に速めのテンポで、プッチーニらしい粘り気が全体的に弱く、
聴きやすい反面、印象にはあまり残らない演奏になっているように思えます。
歌手陣も淡泊な歌唱が目立った印象で、
こればっかりは指揮者の問題もあるかもしれませんが、
カレヤの歌唱はそういう問題ではありません。
有名なアリア2曲が実に味気なく、全く言葉に力がない。
フィナーレのトスカとカヴァラドッシの重唱も然りです。
声という面だけならばトスカとスカルピアは良かったのではないかと思います。
二人とも一流劇場で劇的な役をしっかり歌える実力派なので、当然と言えば当然なのですが、
まだ伸びしろがありながらも終始安定した声を聴かせてくれたことは素直に素晴らしいと言えるでしょう。
今回の公演では、どの歌手もポルタメントを極力抑える傾向にあったように感じましたが、プッチーニ当人は比較的執拗にポルタメントを歌手に使わせるのを好んだようで、言葉のリズムや音楽のうねりを出すには間違えなく必要な要素でしょう。
ほぼ完全にポルタメントを排するこういう演奏になるのか。という実験的な試みとしては面白かったのですが、同時に、センスよくポルタメントを処理する技術がプッチーニを上手く歌うには必ず必要だな。
ということを実感しました。
よって総評としては、一度この映像を通して聴く分には面白いのではないかと思います。
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