ヴェルディバリトン特有の黒光りする高音Franco Vassallo

 

Franco Vassallo(フランコ ヴァッサッロ)は1969年イタリア生まれのバリトン
深く、強く、暗めの響きはヴェルディを歌うための声である。

運命の力のアリア Urna fatale(この箱の中に私の運命がある)

オペラ評論家なる人達は、懐古厨が多いことこの上ないと私なんかは思ってしまうのだが
ホロストフスキーが若くして亡くなってしまった今、一流のヴェルディバリトンはレオ ヌッチしかいないと本当に思っている人がいるようです。
そのようなことを言う人達はきっとこの人を知らないのでしょう。

なぜなら、ヴァッサッロはヌッチ以上に深く重い声であり、ホロストフスキーよりも遥かに優れた発声技術を持っているからです。

こちらがヌッチの演奏

いかがでしょうか。
どちらが優れているとかそういう問題ではなく、
現代にも素晴らしいヴェルディバリトンはちゃんといるのだということが判るのではないでしょうか?

よく伝説のように謳われるエットーレ バスティアニーニに至っては、このアリアを下げて歌ってる有様です。

声、表現、楽譜への誠実さ、どれを取ってもヴァッサッロは黄金時代の歌手に劣らない逸材だと私は考えていますし、
この3人を聴き比べて頂ければ、好みはあるにせよ、現代はヴェルディの歌唱様式が壊れている
などと言っている河野典子という音楽評論家(ヴェルディ協会の理事らしい)の意見など全く耳を貸すに値しないことが判るだろう。

とは言っても、現代に優れたヴェルディバリンが沢山いるかと言われれば
そうではないのも確かだが、ヘルデンテノールよりは確実に人材難ではない。

問題は、現代を代表するヴェルディバリトンとして有名になっている人にその資質があるかどうかなのである。
例えばCarlo Guelfi(カルロ グエルフィ)

なんでこんな喜劇作品のような表現を平気でするのか、この人がヴェルディバリトンということ自体が私には理解できません
この人を指して言うのであれば、正にヴェルディの歌唱様式は崩壊しています。

老骨にムチ打って歌い続けるドミンゴ

確かに3大テノールと呼ばれていた程の歌い手ですから、
世間も特別な目で見るでしょうが、ここまで痛々しい歌唱を聴いて、過去を知っていれば知っている程哀しくなるのではないでしょうか
ホロヴィッツに使われた言葉「ひび割れた骨董品」とはまさに彼のことでしょう。
それだけではなく、バイロイト音楽祭ではヴァルキューレの指揮までやってしまうのですから、もうやりたい放題です。
誰か彼を止めてくれ!

他に現在活躍しているヴェルディバリトンとしては
Lucovic Tezier(ルドヴィク テジエ)

Simon Keenlyside(サイモン キーンリーサイド)

といった人達がいますが、
彼らに決定的に足りない要素はレガートでの歌唱技術です。
とにかく長いフレーズは絶えず大河のごとく圧倒的な力感で流れ続け
音の切れ目すらも緊張を持続させる程のフレージングが要求されるのですが、
二人とも幅広いレパートリーを持ち、ヴェルディをよく歌ってはいますが、
本当の意味でのヴェルディ歌手ではないことは書き加えておかねばなりません。

そういった考え方からすれば、現在はイタリアオペラだけを歌う人、またはモーツァルトばっかり歌う人
といった特定の作曲家の作品のスペシャリストは育ち難い環境なのかもしれません。

 

 

2件のコメント

コメントする