クリスマスコンサート リブロホール(2018/12/22)

本日はリブロホールでのクリスマスコンサートの感想になります。

 

 

出 演

河村 典子(メゾ ソプラノ)

川上 茉梨絵(ソプラノ)

篠山 春菜(ヴァイオリン)

田島 祥弘(ピアノ)

 

曲 目

クリスマスメドレー

アヴェ マリア(カッチーニ)

アヴェ マリア(シューベルト)

プレリュードとアレグロ(クライスラー)

 

クリスマスオラトリオからの抜粋(バッハ)

ヘンゼルとグレーテルから抜粋(フンバーティンク)

 

クリスマスコンサートといっても、世間一般のお祭り騒ぎとは一線を画し
コンセプトは静けさ、温かさ、身近な人への感謝や信仰といったものになっていた。

今年は記事を書くに値しないクリスマスコンサートにも足を運んだりしていた分、
演奏者が何を意図しているかが伝わるプログラムが如何に重要か気づかされた。

 

最初のクリスマスメドレー
内容は:Stille Nacht Heilige Nacht、
O Tannenbaum
Maria Durch ein Dornwald ging
Nun freut euch,ihr Christen

1曲1曲をソロで歌うのではなく、
ユニゾンとハモリを織り交ぜての演奏形式。

こういう曲目は歌い手の実力が一発で分かります。

河村の声は、一般的に言うメゾソプラノを聴き慣れた耳には、ソプラノのように聴こえたことでしょう。
具体的には、響きの高さや声の太さが、多くの日本人メゾソプラノより高くて細いためです。

 

言葉では中々伝わり難いので、音源で

まず、新国などにも度々出演している 山下牧子
曲 マスネ ウェルテル シャルロッテの手紙の場

 

河村 典子
曲 シューベルト「魔王」

山下牧子はこれでも、池田香織、鳥木弥生、清水華澄といった方々に比べれば
よっぽど軽く歌っている方ではあるが、それと比較してすら響きの質が違うことがお分かり頂けるのではなかろうか。

声種を考える時に勘違いしてはいけないのは、
高音が出るからソプラノ、低音が鳴るからアルト。というのではなく
勿論声の太さで声種が決まる訳でもない。

重要なのは音色や、その人の声が一番美しく鳴る音域である。
いくら高音が出ても、中音域が美しく鳴る人はバリトンやメゾをやるのが好ましいし、
逆に高音が苦手だからメゾとかバスということはあり得ない。

 

川上 茉梨絵

高音が強いと言うよりは、比較的低音域~中音域まで安定した声で歌える印象
日本人のソプラノには中低音が全く鳴らないタイプが多く、今回の演目のようなシンプルな曲を歌うと
まず聴かせられない。

そういう意味では、とても丁寧に歌っていた印象だが、
問題は響きのピントが定まっていないこと。
どうしても日本人の声を脱することはできていない。

河村とユニゾンになると、響きの質がソプラノの川上の方が低く籠って聴こえてしまう。
それは声だけでなく、語尾の子音の処理の仕方にも表れていた。
河村がその音程の中で有声子音、無声子音に関係なく緊張感を保っていたのに対して、
川上は言葉の細部まで緊張感が持続しないことで説得力が半減してしまっていた部分があった。

 

Ave Maria

カッチーニを川上、シューベルトを河村が歌う構成。

カッチーニのアヴェ マリアは1にも2にもレガートが命であるが、
頑張ってはいたが、響きの低さ故にまだまだ鍛錬が必要。
それと高音。
ソプラノであればパッサージョ付近が最高音と思われるため、
抜け方が今一つだったので、もう少し高い調整を選んでも良かったのではないかと感じられた。

シューベルトの方は、
何と言っても入りの”a”の入り方で全て決まってしまう。
この入り方の理想は、きっとこの曲を歌う上ではどの歌手も細心の注意を払って研究するのだろう。

河村はかなり明るめの”a”で入り、

Ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,

まだ人々が残酷であったとしても
おぉ マリア 乙女の悩み事を見守ってください

Wenn wir auf diesen Fels hinsinken
Zum Schlaf, und uns dein Schutz bedeckt
Wird weich der harte Fels uns dünken

もし、私達が岩の上の倒れても、
眠りへ、そして私達を貴女の加護が守り、
硬い岩も私達には柔らかく感じられるでしょう。

 

などもかなり劇的な表現をしていた。
この曲は、「Ich 私」ではなくて、「Wir 私達」で歌われてることを考えると、
どこまで個人としての感情をぶつけて良いのか、適量の判断が難しいところだが、
形式上有節歌曲のため、3回しんみり歌われても聴衆は飽きる。
解釈が非常に難しい曲だと改めて感じた。

 

後半のプログラムについては、
何と言ってもヘンゼルとグレーテルのピアノ伴奏が素晴らしく、
見事な色彩感でロマン派全盛のメルヘンオペラと言いながらも濃厚な音楽を表現していた。

歌の方では、河村の魔女が十八番ということで、

CDを出しているので、是非聴いて確かめて欲しい。

 

<総括>

小さな会場での演奏会ではあったが、
熱狂とは違う意味で、演奏者と聴衆が一体になっていた。
恐らく、会場にいた人は全員が同じような感覚を持っていただろうし、
連れの学生も喜んでいたのを見ると、
有名アリアや超絶技巧で客席を熱狂させるのとは違って、
真摯に音楽に取り組んできた人達の演奏は、
決して派手な曲を歌わなくても、しっかり聴衆に伝わるのだと感じた。

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