戦前生まれのロシア人メゾIrina (Konstantinovna) Arkhipovaからわかる喉で押さないことの重要性


Irina (Konstantinovna) Arkhipova)(イリーナ アルヒポヴァ) 1925~2010年はロシア生まれのメゾソプラノ
キャリアの最後の方はコントラルトとなったようだが、ここではメゾソプラノとして扱う。

ロシア人の低声歌手はパワーで歌う人が多いイメージが強いが、アルヒホヴァは全く違う。
多少硬さはあるにしても、決して喉では押さない。
今回は、メゾソプラノやコントラルトであっても、
低音は高い響きを保って歌わなければいけないことをアルヒポヴァの歌から説明していく。

 

 

 

ビゼー カルメン Seguidilla
ドン・ホセ役 マリオ デル・モナコ

この映像、デル・モナコはイタリア語で歌って、アルヒポヴァはロシア語で歌うという、
この二人は会話として成立してるのか怪しい演奏なのだが、
声や音楽的な部分は魅力に溢れている。

 

 

現在一番売れっ子のメゾ、ガランチャの演奏と響きや声を比較してみて欲しい

エリーナ ガランチャ

 

この二人は全く対照的な歌い方をしているので、比較としては面白い
言語が違ってしまっているので、音色や発音はどうしても全く違うものなってしまうのだが、
それ以外の部分、例えば声の響き。

ガランチャの方が柔らかく温かみのある音色で、アルヒポヴァは強くてちょっと硬いイメージを持つかもしれない。
しかし、この役に合う声質という観点を捨て、純粋にどちらが声楽的に優れた響きで歌い切っているかに絞ってみると、
全く違って聴こえてくる。

 

<歌詞>

Qui veut m’aimer je l’aimerai.
Qui veut mon âme … elle est à prendre .
Vous arrivez au bon moment,
Je n’ai guère le temps d’attendre,
Car avec mon nouvel amant

 

<日本語訳>

あたしに惚れたひと あたしが惚れてあげるわ
あたしの心が欲しいひと … 召し上がれ
あんたはちょうどいい時にやってきた
待ってる時間はないの
あたしは新しい恋人と行きたいから

 

ガランチャの演奏(1:15~)
アルヒポヴァの演奏(2:48~)
この部分の、特に最後
「Car avec mon nouvel amant 」のガランチャの響きは完全に落ちている。
歌詞と響きの質がアルヒポヴァとどっちが適切だろうか?
さらに、再現部の「Près des remparts de Séville」で明確に差が出る。
アルヒポヴァは前の歌詞の歌い終わりと同じ響きから、全く同じ一本の線でフレーズが繋がるのに対して、
ガランチャは落ちたところから上行形「ville」の”vi”に向かって響きが上がるのだが、
”lle”の下行音型で響きが落ち、最後の”le”はかなり喉声になっている。

アルヒポヴァの方が明らかに強い金属的な声で、喉に負荷が掛かっていそうに聞こえるが、
実際は数秒の歌詞を切り取っただけでも分かるように、
ガランチャは響きのポイントがブレてしまっているため、
中低音で喉声になりかけたり、
ピアノの表現で声に芯がなくなったりしてしまう。
低音を鳴らすために響きを落とすことが常習化してしまうと、
響きだけで低音を出すことができなくなってしまうらしい。
※私は女声ではないので断定はできないが。

この二人の比較、もっと分かり易い曲があった。

 

 

 

 

 

カッチーニ Ave Maria

 

 

ガランチャ

 

正しい響きを得る上で、最も大切な母音は”i”であると何度か記事に書いている通り、
歌い出しの「Maria」の”ri”の響きの質の違いが、
ガランチャとアルヒポヴァの実力差と言っても良いと思う。

アルヒポヴァの高解像度の「Maria」に対して、ガランチャの”Maria”はランクが落ちる。
アルヒポヴァが傑出しているのは低音の”a”母音が開かず、声を抜かず、
あるいは喉を押さず、それでいて明確な”a”母音を発音できていることだ。
これは”i”母音と同じ響きに、低音域でも”a”母音を乗せることができるからこそ可能なこと。
逆に、一番狭い母音の”i”でピントが合わずに、
開口母音、特に”a”や”e”でピントが合うことはあり得ない。
だから、歌声の響きを決める最も重要な母音が”i”なのである。

 

 

 

マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ Voi lo sapete

そうは言っても、この人の声には硬さがある。
この硬さ原因は何なのか?
このようなドラマティックなイタリア物を歌うと、声の硬さは顕著に出る。
響きの高さはあっても。ポイントが前過ぎてしまうと、
イタリア語のような言語を歌うには空間が狭すぎて、特に高音のフォルテが刺さるような痛い音色になってしまう
カッチーニのアヴェ マリアのような作品を歌う時にはプラスに作用することも、
サントゥッツァのような役ではマイナスになる。

 

 

空間を広く取って響きのポイントを奥にした響きはこんな感じ

ヴェロニカ シメオーニ

真っすぐな響きのアルヒポヴァと比べて、包み込むような柔らかい響きシメオーニ
全く違うように聴こえるかもしれないが、違うのは響きの深さだけで、他の部分は殆ど同じである。
そして、どちらが正しいということはなく、歌う曲によって求められる響きは変わってくるので、
シメオーニがアルヒポヴァより優れた歌手である。という短絡的な結論を出すこともできない。
ただし繰り返しになるが、
どのような音域、発音でも響きが落ちない。
ということが歌手の優劣を聴き分ける上では絶対的な要素としてあるのは間違えない。
Veronica Simeoniについては過去記事でも取り上げているので未読の方は参照ください。

 

 

 

CD

 

 

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