無駄のない歌唱を追求したバスRuggero Raimondi

ruggero raimondi (ルッジェーロ ライモンディ)は1941年イタリア生まれのバス歌手。
ドン・ジョヴァンニやヴェルディ作品を得意としているイメージが強い歌手だが、
ボリス・ゴドノフのようなロシア物もこなし、
ドンキショットや当然カルメンのエスカミーリョのようなフロンス物も上手い。

飛び抜けた美声かと言えばそうではないが、声も演技も飾り気がなく、
この人の歌唱には無駄がない。
それでいて、実に的確な表現をしてみせる。

 

 

ライモンディの演奏で特に衝撃を受けたのはボリス・ゴドノフの演奏である。

ムソルグスキー ボリス・ゴドノフ(ショスタコーヴィチ編曲版)
ボリスの死

ロシア物はロシアや東欧の歌手が歌うことが多く、
どうしてもパワーで押す演奏が多い中で、ライモンディの演奏は圧巻だ。

 

例えば、ブルガリアの名バス歌手
ボリス クリストフ

私がロシア語の発音には精通していないため、もしかしたら、
ライモンディの発音には問題があるのかもしれないが、そうだとしたら容赦頂きたい。

ただ、発声的な面で見れば、
クリストフの演奏は休符ごとに音楽が止まってしまうのに対し、
ライモンディは休符の間にも呼吸が見える。
この自然な言葉の間、
休符は休んではいけない。休符でどう音楽をするかが大事。
とはよく聞く言葉だが、これを実践するのは呼吸しかない。

ライモンディはこの役の呼吸を表現するのが本当に上手い。

 



 

プッチーニ トスカ Te Deum

これが65歳の演奏である。
ただデカい声出せばよいと考えてる歌手が多い中で、何と大人の演奏をすることか。
スカルピア役にしては紳士的過ぎる歌唱。という見方もあるが、
このプッチーニの音楽は、少なくとも下品に歌うことは求めていないと考えるべきだと私は思っている。

記事の中で日常的に
{声で歌うのではなく、言葉で歌う」ということを書いているが、
ライモンディのこの演奏を聴いて頂ければ、言葉の感覚を掴むことが如何に上手い歌を上で重要かがわかる

 

 

 

ロッシーニ ランスへの旅 Medaglie incomparabili

 

 

この曲を言葉ではなく、声で歌うとこうなる
ニコラ ウリヴィエーリ

 

ウリヴィエーリの方が立派な声であるが、
音楽として立派なのはどちらかは言うまでもないだろう。

 

 

 

ビゼー カルメン (Votre toast )

こういう曲ではキューゾに(閉じた深く暗めの音色)をわざと作ってはいるが、
決してパワーで美声を前面に出したり、あるいは抜いたようなピアニッシモをせず、
非常に素直に歌っている。

 

 

 

ヴェルディ ドン・カルロ Ella giammai m’amò

最もヴェルディのバスアリアで歌われる機会の多い曲だが、
ここまで自然に歌う人はそういない。

 

 

米国人で最も有名なバス
サミュエル レイミー

 

良い声だがそれだけで、ライモンディと比較すると癖が目立つ。
米国人歌手の多くが、この掘ったような鼻声のようなポジションで歌う。
このポジションでは正しいレガートでは歌えず、言葉を正確に喋ることができない。

それに比べてライモンディは、
効率的で無駄なことをせず、ドラマを伝えるために必要な歌唱を追求した歌い方だ。
決して刹那的な美声を求めず、どこまでもシンプルに、真っすぐに言葉を伝える。
それがライモンディという人の偉大さだと思っている。

現代のバス歌手の大半声に頼った歌い方をする傾向があるので、
こういう人から声ではなく表現をもっと学んでほしいものである。

 



 

 

CD

 

 

この人のドン・ジョヴァンニは持っていて損はそない。

 

フローレスで売っている映像ではるが。ライモンディも勿論重要な役
ロジーナがちょっと弱いか。

 

レオ ヌッチと、まだ衰えていないチェチーリア ガスディアの3人でのリサイタル
私が学生時代に愛聴したCD

1件のコメント

  • […] この歌の差を、イタリア語ではCol fiato(息の中で)とSul fiato(息の上で)と表現するらしい。 私も、コロンバーラは発声が良いから楽に高音が出るのだと数年前までは思っていたが、 そうではないということを教えて貰ってから、よくよくコロンバーラの歌を聴いてみると、 言葉ではなく、確かに声で歌っている。 発音は明確なのだが、抑揚やレガートに欠けている。 ※Rライモンディについては過去記事で紹介しているのでまだお読みでない方はご覧ください。 […]

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