Jeanette Scovottiの歌唱から考える米語の発音に潜む声楽的な問題点

Jeanette Scovotti (ジャネット スコヴォッティ)は1936年米国生まれのソプラノ歌手。
オペレッタを得意としたハイソプラノで、コロラトゥーラの技術もしっかりしていた。

あまり録音音源はないが、原語ではなく、英語(米語)歌唱の録音が目立つので、
今回は、米語歌唱と声の関係に注意を払ってみたい。

 

 

 

レハール ウィーン気質 二重唱
テノール ルディガー ヴォーラース

テノールは私一押しのヴォーラース(笑)
スコヴェッティはニューヨーカーのようだが、ドイツ人のヴォーラースと重唱をしても、
ドイツ語に違和感がなく、多少独特なヴィブラートはあるにしても、
響きそのものも伸びやかで美しい。
オペラを歌うには明る過ぎるというか、シリアスな表情や劇的表現には向かない歌い方ではあるが、
オペレッタを歌うには本当にピッタリの声である。

 

 

 

プッチーニ ラ・ボエーム ミミとロドルフォの二重唱 O soave fanciulla

こちらも同じ組み合わせの重唱だが、イタリア語だと聞いた印象がかなりかわる。
ヴォーラースは流石としか言いようのないレガートとディナーミクを聴かせるのに対して、
スコヴェッティはイタリア語だとチリメンヴィブラートがかなり気になる。
声そのものは決して悪くはないが、ミミのようなリリックな役には声が向いていないのもあるが、
やはり歌い方そのものがヴェリズモオペラを歌うものではないのだろう。

 

 

 

Jシュトラウス ヴェネツィアの一夜 Treu sein, das liegt mir nicht

そこで改めてオペレッタの今度はアリアを聴いてみよう。
やや硬さはあるにしても、イタリア語を歌った時のような揺れは気にならない範疇に収まり、
高い位置にしっかり乗った響きで歌っているので、
オペレッタに必要な軽やかさに加え、”a”、”e”、”i”の前で響く母音は明るく、
”o”、”u”の奥で響き母音は暗めに、メリハリのある歌唱を聴かせている。
口のフォームを見ると、これは癖と言うより、あえて色をハッキリ付けているのだろうな。という歌い方をしている。
オペレッタだからとやたら開けっ広げに歌う人もいれば、
その逆にオペラセリアと変わらない声で歌って重苦しくなってしまう人もいることを考えると、
この明暗の出し方は中々利に叶っていてバランスが良いのかもしれない。
例えば、オペラ歌手あるあるがこんな演奏。

 

 

 

 

 

 

 

テノール フランコ ボニゾッリ
レハール ほほえみの国 Dein ist mein ganzes herz

これは確か、ボニゾッリがウィーンでリサイタルをした時のアンコールだったと記憶しているが、
日本に外国人歌手がリサイタルに来たら、時々リップサービスで、さくらさくら とか歌うようなもので、
普段レパートリーにしていなくても、その土地に行ったら現地の曲をとりあえず歌う。
そんなノリでオペレッタとは無縁の人が演奏するとこうなってしまう訳だ。

ボニゾッリを例に出すのは極端過ぎるかもしれないが、
スコヴェッティの演奏から、オペレッタのアリアと、オペラアリアの歌い分けのコツのようなものが見えてくれば、
オペレッタに合った歌い方や声を明確化でき、自分が歌う時にも生かせそうだ。

 

 

 

Jシュトラウス こうもり Spiel ich die Unschuld vom Lande (英語歌唱)

ドイツ語歌唱の時より響きが落ちて、やや詰まったような声の部分もある。
まぁ、この曲の場合はどこまでが演技でどこまでが素なのかが分からないので、
この曲だけで英語歌唱とドイツ語歌唱の影響について言及するのは安直ではあるが、
それでも、声質の変化は相当なものであることは疑いようがないだろう。
ちなみに、現在トップクラスのドイツ人ハイソプラノ、ピーターゼンの演奏はこんな感じ

 

 

マルリス ピーターゼン

この人は本当に器用で職人的な歌手である。
素晴らしいのだが、全てが計算ずくのようでアデーレみたいな役をやっても、
今ひとつ人間味を感じないのは私だけだろうか?

 

 

 

ノエル カワード作曲 If Love Were All

これはクラシックの作品ではないので、他に歌ってる人は、
ポップス歌手やジャズ歌手など様々だが、
英国人が歌うと発音が全然違って面白い

 

 

ジュリー アンドリュース

 

こちらは職業歌手ではなく女優なので、歌の上手い下手というより、
ここで注目したいのは英語と米語の発音の癖。
米語の方が明らかに喉で発音する音が多く、どうしても響きがくぐもった感じがする。
それに比べて英語の方が喉の奥というより、前に開いた響きが多いのでクリアに聴こえる。

ここからは推測になるのだが、
戦前~戦後にかけての米国人歌手(特に女声)は癖の少ない歌手が多かったが、
現在の米国人歌手は男女問わず無垢な響きと言えば良いのか、そういう純粋な美しい響きの歌手が殆どいない。

 

<参考までに、以下は私が過去記事にした米国人女性歌手>

Carol Vaness

Dorothy Kirsten

Lucine Amara

Michèle Crider

Ruth Welting

Shiley Verrett

戦前~戦後にかけては、下手したらヨーロッパより米国の方が素晴らしい女性歌手が多かったのではないかとさへ感じる。
その理由は、恐らく多くの移民(特にヨーロッパからの)がクラシック音楽の分野では牽引していて、
米語の癖があまりない人が多かったのではないだろうか?
そう考える根拠として、有名な米国のオケの指揮者を見てみれば良い。

バーンスタインを除いて米国人指揮者なんて殆ど有名オケの音楽監督にはいない。
簡単に例を挙げると

シカゴ=ライナー
クリーヴランド=セル
ボストン=ミュンシュ
デトロイト=パレー
サンフランシスコ=モントゥー
ミネアポリス=ドラティ
ニューヨーク=ミトロプーロス

などなど、米国の有名オケで音楽監督をやっているのは、
最近までヨーロッパの指揮者ばかりだった。

つまり、オペラの現場でも当然純粋な米語ではなく、何等かの訛りのある英語が飛び交っていたはずで、
有名音楽大学でもヨーロッパから来た人が教えていたり、あるいはヨーロッパで勉強して米国に戻るのが主流、
となれば今のような米語を歌い手は殆ど喋っておらず、それが逆に歌うには良いことだった!?
と言う仮説を立てても、トンデモ発想だと一蹴することはできないハズだ。

スコヴェッティの歌唱からは少し脱線してしまったが、
彼女の伊独米語での歌唱を聴いても、言語の特徴と響きの関係は無視できない。

今回は今までとちょっと違った視点で記事を書いてみた訳だが、
私自身もまだまだ勉強不足なので、いつものようにはいかず、
言語の特徴と声の響きについて、誤った認識があれば指摘頂けると有難い次第である。
ただ、この辺りは重要なのに全く音大では教えてくれないので、
歌を勉強している人にとって参考になる記事を目指して今後も書いていければと思う。

 

 

 

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