最も優れたディースカウの弟子Andreas Schmidt

Andreas Schmidt (アンドレアス シュミット)は1960年ドイツ生まれのバリトン歌手
名実共にリート歌手として最も認められ散るのがディートリヒ・フィッシャーディースカウであることは誰も疑わないところ。
そのディースカウの弟子には有名な歌手が何人かいるわけだが、シュミットはその中でも最も優れた歌手と言えるのではないかと考えている。

録音はかなり残されているのだが、映像は全くない。

彼のリート演奏の中でも特に優れているのはブラームス、マーラー、Rシュトラウス

まず代表的な演奏
マーラー リュッケルトの詩による5つの歌曲
※下記の音源には1曲歌われていない曲がある。

この歌曲はオーケストラ伴奏でもピアノ伴奏でも演奏され、
演奏曲順も厳密には決まっていないため、演奏者によって歌う順番も違う
また、この音源はオーケストラ伴奏だが、シュミットはピアノ伴奏でも録音を残している。

1.私の歌を覗き見しないで Blicke mir nicht in die Lieder! (1901年6月14日)
2.私は仄かな香りを吸い込んだ Ich atmet’ einen linden Duft (1901年7月)
3.私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen (1901年8月16日)
4.真夜中に Um Mitternacht (1901年夏)
5.美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit (1902年8月)

一般的には、1⇒2⇒5⇒3⇔4
※「私はこの世に捨てられ」と「真夜中に」は特に演奏順が人によって異なる。

さて、シュミットの演奏について解説する前に
ディースカウ門下を簡単に紹介しておこう。
一番有名なのはマティアス・ゲルネ、
後はローマン・トレーケル、ディートリヒ・ヘンシェルといったところでしょうか。
最近では、最後の弟子としてベンジャミン・アップルという人が注目されているようですが、
はっきり言って大した歌手ではありません。

全体的にディースカウの門下生は直線的な声を出さないのですが、
それが表現の柔らかさとか、繊細さ故であれば良いのですが、残念ながら正しいポジションに声が通っていないことが殆どです。
そして、このベンジャミン・アップルという人は完全に声の響いている場所が間違っている。

シューベルトの「魔王」でアップルとシュミットを聴き比べて頂きたい。

 

アップルは、魔王のセリフは猫なで声を出したり、父親やナレーション部分は太めに作ったり
色々表現しようとしているが、残念ながらピントが全てずれている。
一方シュミットの演奏は全て一本の息の線の上で行っている。
何かと演劇的な表現がリートで多用されるようになった昨今、アップルのような演奏解釈は珍しくないが、
歌うという行為によって詩を表現する場合、果たしてどちらの演奏が良いのか。今一度考えてみる必要がある。

 

シュミットの歌唱で優れているところは、
まず、その圧倒的に気品に満ちた声とゆったりしたブレス。
小手先の表現ではなく、曲全体を捉えて丁寧に全体像を浮き上がらせる。
曲によっては、
もっとこの言葉が立った方が良い。とか、キレの良い子音さばきをした方が良い。と思う部分がない訳ではないが、
技術的な部分でも、低音~高音まで響きのブレがなく、全て同じポジションで歌い続けることができる。
これだけ完成された歌手はそういない。(発声技術という部分だけを取ればヘルマン・プライより優れていると思っている)

こういう曲集を聴いて、平たんな表現と感じるか、安定した演奏と捉えるかは聞き手にゆだねられるところ。
そういう意味で、シューベルトより、劇的な表現を引き出せるマーラーやシュトラウスが彼には合っていると考えているのである。

 

お勧めCD
リヒャルト・シュトラウスの歌曲集(8枚組)

女声用の歌曲はユリーアネ・バンゼが歌っている超が付くほどお勧めできるCD
若い頃に書かれた「献呈、チェツィーリエ、朝」などの有名な曲以外は演奏される機会は少ないが、
晩年までシュトラウスは歌曲を書き続けたことからもわかるように、歌曲はシュトラウスの残した作品でも中心となるもので
もっと演奏機会に恵まれるべき曲が沢山あることがわかると思います。
ただ、演奏機会が少ない理由は、歌うのは勿論、伴奏が難しいので、ちゃんと弾けるピアニストが中々いないという理由もあります。

 

マーラー 子供の不思議な角笛

今は残念ながら、ブラームスの「4つの厳粛な歌」を含んだCDがないようで紹介できませんが、
そちらも素晴らしい演奏なので、中古CDショップなどで見つけたら入手されることをお勧めします。

1件のコメント

コメントする